日マ関係を回顧する(1) - マレーシアで感じる日本人へのまなざし
今年も終戦記念日が近づいてきた。一方マレーシアでは8月31日の独立記念日(今年は44周年)に向けて、国旗を掲げる運動や様々な記念行事、イベントが盛り上がりつつある。
この二つの国の歴史上大切な日が同じ8月に重なっていることは、たまたま偶然であるが、マレーシアで日本人として暮らす私には偶然とも思えぬ気がする。マレーシアの独立とその後の発展にとって、日本の戦争と日本の存在は切っても切れない深い関係があるからだ。プラスの側面も、マイナスの側面も含めて、日本人はしっかりとそのことを自覚するべきだし、若い世代にもそのことを正しく伝えていく必要があると思う。
私自身、この10月でマレーシア滞在10年を迎える。これまで書いてきたコラムを再掲し、日マ関係の流れをもう一度振り返ってみたい。
再掲
マレーシアで感じる日本人へのまなざし
マレーシアで暮らす日本人の多くは、この国を居心地のよい国だと感じているようだ。 理由はいろいろと考えられるが、ひとつには日本人に対するマレーシア人の暖かい「まなざし」というものがあるのではないだろうか。
クアラルンプールは、多民族から成る市民に加え、大勢の外国人が住む国際都市だ。環境が人を育てるとでも言うのだろうか。クアラルンプール市民は外国人に対し、概してフレンドリーで、サービス精神に富んでいるように思う。この外からの「他者」に対する開放的で、スマートな社交術は、この地域がかって東西交易の中心として栄えたマラッカ王国時代以来の伝統かもしれない。
しかし、外国人と言っても、皆が同じような接し方を受けるわけではない。建設現場や清掃関係に従事している近隣諸国からの下層外国人労働者に対するマレーシア人の視線は、日本人や西洋人(ここでは、ORANG PUTIH [ 白人]と言う言葉が使われている)に対するものと、その向きや傾斜が異なることがある。同じマレーシアに住む外国人であっても、それぞれの出身国に対し、マレーシア人がどのようなイメージを抱いているかによって、居心地は違ってくるのだ。
マレーシア人は、この50年、日本人をどのような「まなざし」で見てきたのだろうか。
4月にマハティール首相著「A New Deal for Asia」(日本語版は「日本再生・アジア新生」、たちばな出版)が出版され、その内容が新聞に紹介されたが、日本との関係についての言及が多いのに驚いた。以下は同記事の日本に関する部分である。
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マハティール氏はマラヤが日本に占領された時代、日本人がいかにしてイギリスを打ち負かしたか、日本人がどんなに規律正しい国民であるかを目のあたりにし、次のように述べている。
「このことは、私に衝撃を与え、のちに、ディシプリンさえあれば、ほとんど何事でも成し遂げられるのだと確信するに至った。かくして私たちは目覚め、強い意志さえあれば、日本人のようになれるのだ、という自信を与えられたのだ」
歴史を下って、
「アジアの奇跡が謳われた時代、大きな役割を果したのは外国からの援助ではなく、外国からの直接投資であった。マレーシアに大挙してやってきたのは、日本企業だった。今日、日系企業の生産はマレーシアのGDPの23%を占めている」
第2章はアジアの価値観とアジア更生のための日本の役割について書かれている。
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ところで、マハティール氏は1970年に「The Malay Dilemma」という本を出している。1983年に出版された日本語版「マレー・ジレンマ」(勁草書房)に同氏が寄せた「ルック・イースト政策について」という一文には、1981年に提唱された同政策の主意が次のように記されている。
「マレーシアはこれまで、西洋の影響を強く受けてきた。それは決して悪いことではなかったが、今や西洋は、その価値観の基本である個人主義の弊害が出始め、衰退の兆しを見せている。 他方、アジアに目を転じると、日本や韓国が個人の利益よりも集団の利益を優先させて、めざまし発展を遂げている。この集団や国が個人よりも重要であると言う哲学が生み出した労働倫理—規律、忠誠、勤勉など—をマレーシア人に学ばせ、マレーシアを豊かな国に発展させたい」
戦後の日マ関係の基本に、マハティール首相や他の指導者たちに大なり小なりこのような歴史観があったことを忘れてはならないだろう。 そして、それは直接、間接的にマレーシアの対日観に影響を及ぼしてきた。
一部に、過去の日本の所謂「侵略」や「軍国主義」に対する批判の声もあるが、マレーシア人の多くは、過去に拘泥することなく、未来を志向しているように思う。21世紀に向けて日本は何をなすべきか、どんな役割を果たすのか、と言う課題にこそ注目している。
このマレーシア人の心の広さを、我々日本人は大切に受けとめなければいけないと思う。
さて、 「今現在」の日本は、マレーシア人の目にどのように写っているのだろうか。
マレーシア人の日本に関する意識調査などによると、「日本は経済的に豊かで、生活水準が高い」と、その経済大国としてのイメージが強い。クアラルンプールの高級デパートに溢れる日本のもの、 優雅な生活をしている駐在員や金持ちの旅行者を見ての実感でもあろう。また、日本は自然が美しく、文化水準も高いと見られている。
そして、最近は若者(特に中国系)の間で、日本の歌、漫画、ドラマなどに対し、人気が集まっている。さらに言えば、日本食への憧れは、日本人のフランス料理に対するものに似ているし、日本女性をほめる時、「色が白くて、美しい」と言う人もいる。
総じて視線は上向きだ。
面映ゆいこともあるし、過去の日本人の姿があまりにも鮮やかに生きていて驚くこともあるが、何れにしてもこのような概して好意的なまなざしの中で暮らせることは幸せなことである。 そのひと個人の肩書きや人格とは関係なく、ただ日本人であると言うだけで、どれほど心地よく過ごせていることか。
しかし、イメージには時間的なズレがあることを忘れてはならない。現在の日本に対するイメージは過去の日本の歴史やこれまでマレーシアにやってきた先人たちの行いの積み重ねによって、形成されたものである。
どんなに小さな個人であれ、日本という国や日本の歴史を背負っていることを、外国で暮らしているとしみじみ思う。と同時に、私たちの行い一つひとつが未来の日本のイメージの種を撒いていることも忘れてはならないだろう。