Taiwan Promise

 この5月、仕事で台湾を訪ねた。いくつかの大学訪問と高雄市で開催された社会マネジメントシステムに関する国際シンポジウムに参加するためだった。今年のテーマは「防災と復興マネジメント」であったが、台湾側は「モラコット(莫拉克)台風被災復興三周年記念」の国際シンポジウムと位置付け、開会式には馬英九総統も出席した。主催は私が勤務する高知工科大学が創設・主導する「社会マネジメントシステム学会」と「台湾行政院モラコット台風復興委員会」などであった。

 同学会の会長であり、同復興委員会の副幹事長でもある陳振川(J.C. Chern)氏(行政院政務委員)は本学の岡村甫理事長と旧知の仲で、何度か高知を来訪されたことがあり、私も同シンポジウムの2ヵ月前に台北市での小さな集まりで同氏と親しく話をする機会があった。陳氏の行政院政務委員(無任所大臣)就任をお祝いする席だったのだが、同氏はこの2年半情熱を注いでいるモラコット台風の復興事業について、熱っぽく語った。復興事業は少数民族対策事業でもあった。

「私はこの2年余り6割の時間を復興事業のために割き、年間200日以上は現場にいた。はじめ、先住民たちは私を信じてくれず、復興計画に猛反対だった。彼らは漢族を信じていなかったんだ。しかし、根気よく対話を重ねていくうちに、心を通い合わせることができるようになった」

 少数民族が刺繍をしたユニークなジャケットを着、彼らの手作りのネックレスをお守りのように身に着けた陳氏はしみじみと語った。同氏はいつもこの服装で仕事をしている。隣の人が「陳氏は外省人なんですよ」と教えてくれた。「本省人だ、外省人だなどというが、本当の台湾の主は少数民族である先住民なんだよね。今は台湾大学土木工程学系の教授時代より給与は低いが、私はこの仕事と巡り合えた事を本当に幸運だと思っている」

 そう言って、数日前に小林集落の復興のお祝いをした時、被災後に生まれた少数民族の新生児たちを抱いて村人と撮った写真を嬉しそうに見せてくれた。

 その夜は、偶然にも1947年に起きた二・二八事件の克服を祈念して設けられた「平和記念日」の前日でもあった。かつて「本省人」と「外省人」が血を流して抗争したこともあった台湾が、今や少数民族の生活向上や文化の保存に心を砕くようになったのかと、台湾社会の成熟ぶりに感銘を受けた。

モラコット台風(八・八水害)

 台湾史上最悪の自然災害となったモラコット台風は2009年8月8日、主に台湾南部で集中豪雨をもたらし、96時間に平均年間雨量の約7割に相当する最大2884ミリの雨量を記録した。この災害により、崩壊した面積は5万haを超え、死者行方不明者699人、全壊住宅1766戸、災害損失は約1988億台湾ドル(約5000億円)という被害をもたらした。被害が大きかったのは少数民族が多く住む台湾南部の山間地だったことが、ある意味で、復興事業を複雑で難しくした。「次の台風の季節が来る前に」どのように彼らを迅速に移転させるか、復興最前線で陣頭指揮をとった陳氏らは頭を悩ました。

 先住民たちは、そもそも数世紀前、漢族から逃れて山間に住みついて農業を中心に生計を立てていたが、その山間地が台風の被害で居住が危険地とされ、生業としていた田畑も流出していたのだった。

迅速な復興計画

 災害発生7日後に復興委員会が設置され、幹事長には行政院長(首相に相当)が就いた。9月10日には行政院長が各段階での復興政策を公表し、9月12日には高雄市に復興委員会の事務所を設置、行政院の各部署から約60名を長期派遣し、軍、消防、警察、ボランティアなど総動員して対策にあたった。10月9日には「国土保全を最優先とした地域復興計画の概要」が示され、「インフラ計画」、「住宅復興」、「産業復興」が検討された。

 1999年に台湾中部で発生した921集集(チーチー)大地震の教訓から今回は仮設住宅はつくらず、本設住宅を無償譲渡する方策をとった。政府が建てた住宅を無償で譲渡することは認められておらず、前例を作ることにもなるので、この部分は民間の力を借りた。驚異的なのは、半年で700戸、2年後には2946戸が建設され、希望者の90%が新しい住宅に移転したことだった。

 シンポジウム終了後、スタディ-・ツアーで台湾世界展望会が建設した禮納里集落や仏教系の慈善団体である慈済基金会などが建設した長治百合園集落を見学した。驚いたのは住宅建設に寄付をした慈済基金会、台湾赤十字、台湾世界展望会、張栄発基金会、法鼓山基金会、基督教長老教会の六団体がそれぞれの特徴を生かした住宅地を形成していたことである。顔の見える援助であり、出来上がったものも日本のように画一的ではない。

 日本円で630億円の民間資金が集まったとされるが、住宅建設の他、八つの企業団体が学校再建に参画、18の団体が産業復興に力をいれた。その他多くのNGOも様々な形で協力した。

彩りある持続的な地域社会づくり

 新しい住宅地―新集落は虹彩永続地区(Colorful Sustainable Community)と命名され、小学校や教会の建設、また被災者に新たな生活手段を創出するなどコミュニティーづくりがはじまった。北大武山の麓にある吾拉魯滋集落も訪ねたが、住民は故郷の山を仰ぎ見ながら新しい生活を始めており、先住民のモチーフで飾られた泰武小学校では子供たちが口承で、民族に伝わる歌を練習していた。そのメロディーは何とも不思議で、懐かしく、少女たちの声は山の天使の声にも似ていた。今では国内でも有名な少女合唱隊となり、民族衣装を着て公演に出かけることも少なくないという。有機栽培や少数民族の伝統文化を活かした観光産業なども企画され、動き出した。

 モラコット台風復興事業は「危機」を「好機」と捉え、従来あった様々な社会づくりプログラムを復興プログラムと結合させて、希望のある未来へと導く、ロマンのある壮大な社会、国造りの事業であることを感じた。そして、陳振川氏のようなしっかりとした専門性に裏付けられながら、ヒューマニズムに溢れ、聡明で行動力のあるリーダー持つ台湾は幸せであり、また慈善、ボランティアの精神に溢れる市民が支える台湾社会の未来は明るいと思った。


少数民族の衣装とネックレスを身につけた陳振川氏