ハリラヤ・プアサ(ハリラヤ・アイディルフィトゥリ)に次ぐイスラーム第二の大祭ハリラヤ・ハジ(ハリラヤ・アイディルアドハ)が近づいたある日、友人が「今年は家内が『犠牲』をするんだよ(buat korban)」と言った。一瞬「?」と思ったが、次の説明で意味が呑み込めた。「僕らは金持ちじゃないから、7人で一頭の牛を買うんだ。一人の持ち分は280リンギ(約8千円)なんだよ」
 ハリラヤ・ハジ(巡礼祭)については既に「アリフィン・ベイ先生のメッカ巡礼 」(2000年3月17日付けコラム)でも書いたが、聖地メッカを巡礼している人々を祝福する日である。毎年メッカに世界中から約200万人のイスラーム教徒が集まり(外国人は約四分の三)、約1週間にわたる巡礼の行を行なう。この時期になると、異教徒立ち入り禁止のメッカから映像が届くので、その様子が見られるが、この世のものとも思えぬ不思議な雰囲気が漂っている。

 縫い目一つない一枚の白い布、シンプルさの極限に身を包んだ何万、何十万のムスリムたちは、肌の色、国籍、社会的地位、貧富、賢愚など、すべての「差異」や「装飾」から解き放たれ、ただ一人の裸の「人間」として「神」と対峙する。この経験を通じ、「すべての人間は神の前では平等である」というイスラームの根本思想が体得されるであろうことは、映像を見ている者にも伝わってくる。それは、同時に、どんな人間にも必ずやってくる「死」というものへの準備・予行演習のようにも思える。

 このハリラヤ・ハジ(巡礼祭)には別名がある。ハリラヤ・コルバン(犠牲祭)である。この日はメッカのシンボル、カアバ聖殿を建てたとされる預言者イブラヒムとイスマイル親子の故事に因んで、牛や羊、駱駝などが生け贄にされるのだ。

 その昔、神がイブラヒムに最愛の息子イスマイルを生け贄にするよう命じた。苦悩の末、イブラヒムは神のお告げに従う決心をし、イスマイルもまた身を神に捧げることに同意した。イブラヒムが今しも息子を殺そうとした時、この親子のゆるぎない信仰心を確認したアッラーが、救いの手をさしのべた。イスマイルは助かり、代わりに子羊が生け贄にされたという。

 ハリラヤ・コルバンは神への忠誠と犠牲の尊さを心に刻む日である。

 私はもう何年もマレーシアに住んでいながら、このコルバン(犠牲)を一度も実際に見たことがなかった。今年は是非見なければならないと思い、友人に「どこで見られるかしら」と尋ねた。「あら、どこのモスクでも、スラウ(礼拝所)でも見られるわ。お宅からだったら、バングサ・モスクがいいかもしれないわね」 ムスリムの彼女はちょっとあきれたというような表情をしていた。

 3月6日、ハリラヤ・ハジの朝、私はテレビで国立モスクのお祈りの大合唱の中継を見た後、バングサ・モスクへと出かけて行った。都会のど真ん中のモスクで牛が「犠牲」にされるなんて、ちょっと考えられず、行ってみるまで半信半疑だった。

 モスクには既に十数頭の牛がトラックで運ばれていた。モスクの敷地の中に入ると、牛の匂いがプーンとしてきた。懐かしい匂いだ。学生時代に北海道の牧場で一ヵ月働いた経験が甦ってきた。早朝の牛舎の掃除、糞の始末、機械と手による乳絞り、搾りたての湯気のでる牛乳の攪拌作業・・・、真夜中の子牛の出産に立ち会ったこともあったっけ・・・。しかし、牛の屠殺現場を見るのは初めてだ。怖くて、胸がドキドキした。

 生け贄は始まったいた。まず、牛をトラックから引きずり降ろし、屠殺される場所へ連れて行く。数人の男性がロープを引っ張って、暴れる牛を押さえつける。横に倒された牛の頭をしっかりと押さえた男がナイフを振り上げると、「ビスミラーヒラフマンイラヒム・・・」という祈りの合唱が始まる。男は独り言のように祈りをつぶやいて、牛の頚動脈にナイフを入れる。真っ赤な血がどっと流れ出る。私は一瞬、眩暈を感じた。気がつくと、牛の頭と体が切り離されていた。

 ムスリムは豚肉を不浄なものとして一切食べないが、鶏肉や牛肉なども「ハラール」でなければならない。ハラールとはイスラームの教義にかなった食べ物という意味で、肉の場合は上記のような方法で屠殺されたものを言う。

 モスクには何十人もの人が集まって、流れ作業で殺された牛を処理している。皮を剥ぎ取るもの、骨と肉を切り離すもの、肉を小さく切り落とすもの、そして最後は女性たちがしゃがみ込んで山積みにされた肉の塊を秤にかけ、1キロずつ分けてビニール袋に入れている。

 男も女もみな手は血まみれで、服にも血痕が飛び散っている。スーパーにきれいに並んだ肉のパックしか知らない者には、この一連の光景はかなりショックだが、ムスリムの人たちは小さい子供を連れて見に来ている。これも「教育」の一環なのだろう。そう言えば、ムスリムの子供たちは12歳ぐらいになると、遺体の処理を含め、「死」について学ぶのだそうだ。

 ビニールに入った肉はクーポンと引き換えに、集まってくる人々に配られる。モスクの裏の台所では巨大な鍋で煮炊きが始まっている。バーベキューのおいしそうな匂いもしてくる。大作業の後には「共食」が待っているのだろう。こうして、「コルバン」はいわゆる「ゴトン・ロヨン」(共同体の「相互扶助」)方式で行われるのである。

 クアラルンプールではハリラヤ・コルバンは一日だけの祝日だが、クランタンなどイスラーム色の強い北部4州では2日間の祝日となっており、より盛大に祝うそうである。「コルバン」も、モスクやスラウのみならず、個人の家で行なう場合もあり、共同体としての一体感がより強く感じられて楽しいと言う。

 コルバン ― 犠牲。日本では「犠牲者」(被害者)という使い方以外にあまり聞かなくなった言葉だが、マレーシアでは崇高な価値として今も大切にされている言葉だ。

 大辞林を引くと「犠牲 ①目的のために身命をなげうって尽くすこと。ある物事の達成のために、かけがえのないものを捧げること。また、そのもの。(以下省略)」とある。

 紀元前の故事に因んだ生け贄の祭りを、21世紀に入ってもなお、その原形で堅持している人々の姿に触れ、イスラーム圏の人間の底力のようなものに打ちのめされた一日だった。

  参考:
 2000年03月16日(木) アリフィン・ベイ先生のメッカ巡礼
 2001年01月20日(土) 民族それぞれの「節目」-(1)ムスリム