8月31日の独立記念日に一般公開された「Leftenan Adnan」(アデナン中尉)という映画を初日にKLCC(クアラルンプール・シティー・センター)で見た。
 独立記念日のクアラルンプールは大小の Jalur Gemilang(マレーシア国旗)で飾られ華やかだったが、繁華街を歩いている人々を眺めていると、物質的豊かさの中で、この国でもまた「独立記念日」は「Just another holiday」になりつつあるのかなあ、という気がした。人々は美味しい食べ物、面白いこと、楽しいことを求めるのに余念がないように見受けられ、43年前の「独立」は歴史の彼方に遠のき、セピア色に変色したかのようにも思えた。

 若者の熱気でムンムンするシネマ・ビレッジで入場券を求めると、あと2回待たないと席がないという。私たちはそれでもよいと、一枚10リンギット(300円弱)のチケットを買った。この映画は結構前評判がよさそうである。

 ここ数年、映画などほとんど見たことがない私が、どうしてこのような題名のマレーシア映画に関心を持つことになったか。それにはわけがある。

 今年2月中旬のことだった。突然夜遅く防衛省のR少佐から電話が入った。私の知人から紹介を受けたという。日本軍との戦いを扱った映画を製作中だが、台本の翻訳とロケでの立ち会いを頼みたい、というのである。

 私は「えっ?!!」と意表を突かれた。長く住んでいると、とんでもない話が飛びこんでくるものだ。しかし、興味はそそられた。日本軍と戦ったマレーの英雄の話と聞いて、私は日本軍の描かれ方が気になった。しかも、マレーシア政府が作る映画となれば、なお更のことである。

 仕事を引き受けられるとは思わなかったが、話をあれこれ聞いてみた。どんな日本人が登場するのか、ロケ地はどこか、スケジュールはどうなっているのか等々・・・。

 なんとロケは2週間後に始まり、3月一杯かかるという。そのうち25日間を付き合ってほしいというのだ。私は引き受けたい衝動に強くかられながらも、この日程を聞いて断念せざるを得なかった。しかし、よく考えてみれば、当時の軍人たちの立ち振る舞いにつき、戦後生まれの女である私が適切なアドバイスをできるはずもなく、また体力的にもこの年で、いきなり戦争のロケ地に何週間も同行することには無理があったかもしれない。

 長々と話を延ばした挙句、私は「残念ながら・・・」と電話を切った。

 しかし、私はこの映画が出来上がったら、真っ先に見に行かなければならない、と心に決めていたのである。日本軍がどのように描かれるのか、「歴史」の解釈はどうなっているのか、なぜ今、「日本との戦い」なのか、ルックイースト政策との関係は・・・? 私は考えなくてもよいことまで考えて、不安とも期待ともつかぬ気持ちで映画の公開を待った。

 いよいよ開演である。

 映画は牧歌的な田園風景の中で、少年アデナンが戦争ごっこをしているところから始まる。「ピカピカのナイフ」で少年たちの「割礼」をしてまわる、怖いデブッチョのオジサンに戦いを挑むのだ。・・・つづいて少年アデナンたちの集団割礼の様子が村人たちの姿とともにユーモラスに描かれる。

 やがて、アデナンは逞しい青年として成長するが、18歳の時、友人たちと家出をして兵隊に志願する。マラヤがイギリスの植民地だった1933年のことである。マレー人の兵隊はまだ珍しかった頃だ。

 アデナンはその知性と勇気を買われて昇進を続け、英国留学も果たし、幼友達だった村の女性と結婚する。  初夜、照れるアデナンに向かって新妻が「アッサラーム アライクム」(アラビア語で「あなたに平安を」という意味)と声をかける。私はムスリムたちが「こんにちは」や「おはよう」などの挨拶の代わりに使っているこの言葉がこんな時にも使われるのかと、イスラームが生きる行為のすべてを支配していることに新鮮な驚きを感じた。 「アッサラーム アライクム」はムスリムたちが何よりも大切にする言葉である。

 1939年第二次世界大戦勃発。そして1941年12月8日、日本軍がマレー半島東北部のコタバルに上陸。岸壁でサムライが刀を振っている姿が影絵のように挿入される。と、「ようこそ、マラヤへ」という日本語がスクリーンから流れる。

 実はこの映画の前半ではマレー青年連盟のイブラヒム・ヤコブ とF機関の藤原岩市少佐が頻繁に登場する。日本軍を「解放軍」として受け入れるイブラヒムはマラヤの青年たちに独立の必要性を訴えるとともに、日本軍を先導して諜報活動をする藤原を匿い、全面協力をする。

 英国軍が共産党に武器を供与するエピソードも入る。イブラヒムは藤原に言う。「フジワラさん、心配ありません。マレー人は決して共産党には協力しません。宗教がありますからね」

 やがて、戦闘が厳しくなり、中国人の虐殺や爆撃が激しくなるとイブラヒムに向かって「日本軍はマラヤを解放するためにやってきたというのはウソだったのか!」と罵る者がいる。

 日本の猛攻撃は続く。逃げ腰の頼りない英軍将校たちを尻目に勇猛果敢に戦うアデナン。時折山下奉文中将も出てくるのだが、日本語が聞き取りにくく、字幕も私のマレー語では追いつかない。肝心なところがわからず、残念でたまらない。

 1942年2月11日のBukit Pasir Panjang,、14日のBukit Canduと激しい戦闘の後、アデナンは日本軍によって殺される。27歳の時である。ラストシーンは戦場で終わる。字幕は翌15日シンガポールで英軍が日本軍に無条件降伏したことを伝える。

  この映画は決して日本に対する憎しみを掻き立てるものではなかったが、マレーの英雄の敵が日本だったことだけでも、私は気が重かった。

 しかし、一緒に見たマレーシア人の友人は「戦いとはそういうものさ。容赦はないのだ。殺すか殺されるしかない。日本軍が特別に残虐だったとは思わないし、敵がたまたま日本だったというだけで、この映画のねらいはアデナンの国を守る気概と勇気を称えることだと思うよ。若者に愛国心を訴えているんだよ」と慰めてくれた。

 そう言えば、映画ではアデナンとイブラヒム・ヤコブという、日本に対して全く逆の立場をとる人間を描いている。そして、二人ともマレーシア独立の英雄なのである。

 劇場にライトがつくと、周りはみなマレー人ばかりであった。民族を超えた、共通の英雄が少ない、マレーシアという国柄にちょっぴり寂しさを感じた。

 偶然にも8月は日本では終戦記念日(1945年)、マレーシアでは独立記念日(1957年)の月である。8月は、マレーシアと日本の交流に携わる者にとって、日マの深い歴史的なかかわりについて考えさせられる暑い月だった。