読者の声(3)
日本は日ごとに秋も深まりつつあることと思います。クアラルンプールも雨季が近づき、雨が多くなって、比較的凌ぎやすい日々が続いています。この季節は一際日本が恋しく、私の心はマレーシアと日本の間を行ったり来たりしながら、秋風のように揺れています。
おかげさまでコラムの数も80になりました。100号を一つの目標に、もう少し拙い文を書き続けたいと思っています。今しばらくおつきあい下さるようお願い致します。
今日は、いただいたメールのご紹介の続きです。お送り下さった「言葉」は、私の書く気力の源泉になっています。この機会に改めてお礼申し上げます。
仲秋の月に想う(萬晩報、中国情報局コラム転載)
■なつかしい月餅のお話。中に,クルミや南京豆,鶉の卵までぎっしり入っていましたね。菓子でもなければ,食事でもないけれど,しっかりお腹にこたえる不思議な食べ物だった気がします。おまけに,ケーキみたいに大きな奴があったりして…。日本では同じ名前でも小豆の餡だけなので今や物足りない感じですね。
日本の四季をパスされた由,確かに言い得て妙って感じですね。私も僅か1年ですが,今思えば,年をとらなかったような気がします。
「10月は酷暑の後の安堵感に満ちた『秋』、生死を繰り返していく人間や自然の命の循環を考える、哲学の月なんだわ」 まさに,そうですねえ。秋を待ちわびる今日この頃なんですが,天候不順でまだ気温が30度を越える日々です。
伴さんも,パスしたなんて思わないでください,年をとらない別天地にいるんですから。(元在マ、中島)
■役立つかどうかわかりませんが・・・。数年前、東京大学に留学していた中国人留学生と話した時に教えてもらい、現物を見せてくれました。阿倍仲麻呂の和歌(天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも)は漢詩の訳があり、中国の歴史の教科書(高校生用)に掲載されています。
中国人留学生の話しによれば、日中友好以降掲載されたとのことでした。(小坂井)
■この、楽しいメールを拝読していたら、また、もう一度マレーシヤに行きたくなって来ましたネ!四季がある国の、四季が有る人生の中で、四季の有難味を知らない私でしたが、これから、じっくりと、考えなおしてみたいと、感じました。ありがとうございました。(島田)
アフリカに散った、ある企業戦士(中国情報局コラム転載)
■弟さんのすばらしさ、伴さんの優しさと強さがあふれた鎮魂歌、一気に読ませていただきました。在マレーシア時代には殆どお話もせず、伴さんとお知り合いになる貴重なチャンスを逃してしまいました。残念です。(元在マ、大谷)
■幸衛様の生前のお人柄が忍ばれ、大切な方を亡くされたご家族様のお気持ちが痛いほどに伝わってまいりました。謹んで幸衛様のご冥福をお祈り申し上げます。
この度この記事を拝読し、南アフリカの様子を垣間見ることができたのは私にとって大変有難いことでした。私の友人の一人が94年から数年間ケープタウン大学の大学院に留学しておりました。日本人女性が正規の学生として留学したケースは初めてなのだそうです。彼女は私のKL赴任中に、一時帰国のトランジットで何度か我が家に寄ってくれ、彼女から生の南ア事情を聞いておりました。
伴様の南アに関する情報が、その友人の言葉と結びつき、非常に身近なものとして受け取ることができました。南アの事情をいろいろな方から伺う度に、日本人の尺度ではとうてい価値判断ができないところなのだと痛感致します。(在マ、後藤)
■伴さんの文章を読み進めるうちご家族の方々の驚きと悲しみとそこから立ち直ろうする決意がひしひしと伝わり、甥子さんの友衛くんの言葉には二人の息子のいる自分にとっても胸が締め付けられ、ここがオフィスでなければ涙を流していたところでした。
弟の幸衛さんにとっては志半ばであり、また奥様や友衛くんのことも気がかりな中での旅立ちとなってしまいましたが、ご家族が力強く生きていくことが何よりのご供養になるのだと思います。友衛くんがお母さんを支えながら逞しく育ってくれることを祈って止みません。(馬場)
私の名は「花子・太郎」(中国情報局コラム転載)
■その国の文化を理解するには、「まず、名前から」です。このページはまさに、目からウロコでした。(佐藤)
■中国情報局コラムに転載させていただきたいのでご許可お願いします。詳細の表に纏めた中国人の苗字の読み方は面白いし、本当に勉強になりました。(文)
秋の紅葉・雨の激情
■メールを拝見、「秋の紅葉・雨の激情」のページを最初に開き、鋭い感性と情緒あふれる内容に一驚、ホームページでは滅多にお目にかかれない貴重な才能をお持ちの方と尊敬の念を抱きました。(福岡)
今日は多民族国家マレーシアの運命を決める日
■私も見守っていました。マハティールさんが勝ってほっとしています。私はマハティールさんはアジアの希望だと思います。いろんな意味でアメリカ的なものに真っ向から立ち向かえる人はこの人しかいないでしょう。私自身、若いころから英語の勉強が好きで、アメリカが大好きでしたが、大人になるにつれ、アメリカの隠された意図に警戒感を抱くようになりました。いわゆる「言語帝国主義」とかマクドナルドカルチャーの蔓延などに代表されるアメリカ主義みたいなものがどんどんアジア各国の固有文化を侵食しているように思います。マハティールさんはルックイースト、EAECなど、西洋に傾こうとするアジアのはかりのバランスをなんとか是正しようとなさっているようです。
経済危機のときは、私もついに彼は西にひざまづくのかと憂えましたが、ここでもアジアで唯一、IMFの世話にならないという信じられない策をとり、それを成功させてしまいました。アンワルさんとのことは政治が絡むことなので私にはよくわかりません。まあマハティールさんのことだから、この問題でもまた起死回生の策があると思っています。(元在マ、平賀)
マレーシア総選挙分析―デモクラシーの風景
■リアル・タイムで,とても参考になりました。特に投票の仕方が解って参考になりました。ある政党を支持しようとすれば,選挙区にはその政党の候補者は一人なので,民族毎の支持にはならないという選挙の仕組がよく理解できました。(小林)
Time that I enjoy much
■土曜の夜のアブドル・ラーマン通りのパサ・マラム、日曜の朝のテータレ・グラス・ブサールに焼きたてのロティチャナイにSunday Mail、お昼はPJセクション17の中華料理屋の伊麺に西瓜ジュース、食後はビニール袋いっぱいのジャンブー、チャイナタウンのマクドナルドの近くにある伝統茶屋Purple Caneの烏龍茶と茶玉子、マラヤ大学の第5寮のレストランのナシパッタヤにテーアイス・リマウ、バングサのショッピングセンターの初花のちらし寿司にビッグコミックオリジナル、シャングリラホテルのthe Pubのフィッシュアンドチップスにアンカードラフト、コンコルドホテルのお昼の飲茶、デザートはもちろんマンゴプリン、それからイポーの老黄のチキンにもやし料理・・・。
マレーシアってほんとに食生活が多様で、味もピカ一ですね。マレーシアのことを想うときは、暖かい太陽とともに、おいしい食べ物のことばかりが頭に浮かんできます。どうしようもないですね。 (元在マ、平賀)
戦時下のクリスマス・ケーキ
■たとえ支配されるという立場であっても、その相手を思いやる、マレー人の心の広さ、やさしさに感じ入りました。(植田)
テー・シュウピンが教える愛
■こまやかな愛情をしみじみと感じさせられました。(福岡)
2000年元旦のバリック・カンポン
■KLIA(クアラルンプール国際空港)の日本語標記,実は昨年の 9月,帰るときに私も気づいて,大変びっくりしました.そのときはまだ,「免税」と「到着」だけだったようですが,その後,もっと詳しくなったようで,ちょっと驚きです.日本人の側がこういうことの意義をもう少ししっかり受け止めてくれたらと思うのですが…….(小林)
マラッカ沖でのパントン連歌の会
■パントンと日本語でここまでできるかと感心しました。(北井)
■文字通りの「文化的交流」の例として,大変優れたお話で感銘を深くしました。 優雅にして風流,こういう交流も可能な時代というのは,やはり素晴しいことですね。
「アジア太平洋時代の文明」はどうあるべきかを考えていながら,当方そういう視点は,いままで思いつかず,非常に教えられること多く,とてもいい勉強になりました。(小林)
パントンで知るマレーの心
■授業で「パントン」のことは何回か話していますが、その参考資料として貴重なのが、昨年この掲示板で紹介した、伴美喜子さんのページにありました。 「マラッカ沖でのパントン連歌の会」というのは、1998年3月のことで、参加者は日本から詩人の白石かずこ氏、マレーシアからモハマッド・ハジ・サレー氏(国民文学受賞者)、バハ・ゼイン氏(詩人)、シティ・ザイノン・イスマイル氏(女性詩人)、インドネシアからトーフィク・イスマイル氏(詩人、著名な文化人)、そして伴さんの6人。何ともうらやましいメンバーです。(佐々木先生の掲示板)
■替えパントンを作って楽しみました。(在マ、押部)
ハッサン家のオープンハウス(萬晩報転載)
■「アフリカに散ったある企業戦士-」は、読んでいて涙が出てきて困りました。あらためて弟さんのご冥福をお祈りします。
そのつらい気持ちを、ハッサンさんのページが救ってくれました。文章の合間から、のなつかしい細身、口髭のハッサンさんの笑顔がかいま見えるようでした。ほんの2,3度お会いしただけなのに、忘れん坊の私にも強い記憶を残した方です。お元気そうで何より、今もおつきあいが続いておられるのは、本当に素晴らしいと思います。
私の方は、1月5日から9日までKLにいて、念願のハリラヤを楽しむことが出来ました。ジャミール・スロンさん(注:映画監督)宅のオープンハウスでは、お孫さんたちのかわいいマレー服姿に見惚れてしまいました。ジャミール・スロンさんも正装のマレー服で、一段と風格がありました。奥様のロスナニさん(注:女優)は、「あなたのお友達は?今日本?来て下さるかと思って待っていたのに」と伴さんと一緒でなかったことがとても残念そうでした。
その後、最近出来たシネコンのGSC MID VALLEYに行きたいというと、ロスナニさんとお孫さんたち(「家にばっかりいるんであきちゃった」と出かける口実ができて大喜び)が車で送って下さり、ちょうど降り出した夕立の中を巨大ショッピングセンターへ。
降ろしてもらった私はその大きさに唖然、呆然。しかも他の店がほとんど休みだったせいか、KL中の人が集まっているかのような混みよう!KLであんなにたくさんの人を見たのは初めてです。
そこで張芸謀の「一個都不能少」を見て、ついでにユーソフ・ハスラムのマレー語映画も見て、さて帰ろうと外に出たらタクシー乗り場は長蛇の列。このショッピングセンターは足の便が本当に悪く、マイカー持ち以外は来ちゃいけない、と言われているかのようです。バスの便をもうちょっと何とかしてくれれば、今後もいい映画を見に来たいのですが。
翌日はKCLLで「アンナと王様」を見て、その夜の便でインドに入り、あちこちまわって27日に帰国しました。(松岡)
■「あれっ?」っと思った事があります。数年前まで私が宮崎県の日南市に単身赴任していた事はお話ししましたよね。その宮崎の郷土料理で”冷や汁”という名前の食べ物があるのですが、伴さんの文の中に出て来る”ラクサ”という食べ物に関する記述を読んでいて、なんとなくこの郷土料理を思い出しました。”冷や汁”と言うのは、魚の入った味噌汁を冷やしておいて、それを温かいご飯にかけて食べると言うもので”ラクサ”とは食べ方が逆なのに、何だか懐かしく思い出してしまいました。(三浦)
Pak Ling の涙(中国情報局コラム転載)
■スマトラが好きで毎年旅行していますが、道を歩いていると、すれ違いざまに”Cina”と言われることがあります。マレーシアとインドネシア、国情は違うのでしょうが、中国系インドネシア人のこれからとPak Lingの勇姿が一瞬だぶりました。(下村)
■CCTVで中国朱よう基首相がマレーシアを訪問する前のニュースを見た事があります。驚いたのは訪問に先立って、中国のマスコミはマレーシア政府高官をインタビューしたところ、やりとりは全部中国語だったことです。それも、純粋な標準語なので、一瞬、中国人ではないかと錯覚しました。このようなことは普通か、どうか分かりませんが、あのインタビューを見て以来本当にマレーシアが近くなってきたような気がしました。(文)
小さな国の大きな包容力―旅人が感じたマレーシア
■2年ぶりのマレーシアはやはり良かったです。KLは街の顔がLRTや新しいメガモールなどですっかり変わっていました。この大改造が吉なのか、凶なのかは、歴史の判定を待つことになるのでしょうね。私としてはこんなに豊かな自然をこれ以上きり崩さないでほしいとは思いますが、ま、これは外人の口を出すことではないでしょうね。 (元在マ、平賀)
熱帯のフルーツたち(3)(中国情報コラム転載)
■本編は「熱帯のフルーツたち」三部作の終章です。是非前の2編も併せて読んで頂きたい。(中国情報局コラム編集長)
イスーラムの時計
■日本には「お天道様が見ている」という言葉がありますが、素朴な原始宗教的な意味合いがある様と思います。昨今、このような先人から受け継がれた言葉や風習が力を失いつつある現状の日本で、青少年の犯罪等が顕著に現れています。
そういう点から観ると、「宗教が生活」という生き方は羨ましいと感じると共に自分の生活慣習とは懸け離れた世界を紹介していただいたことは、インパクトが大きいと感じました。
アルフィン・ベイ先生のメッカ巡礼
■タイバ先生も退官、アリフィン・ベイ先生もインドネシアへ帰られたとか、懐かしいお名前ですが、時の流れを感じます。アリフィン・ベイ先生とKLの日本語センターで初めてお目にかかったとき、ちょうどその週に『インドネシアのこころ』を読んだばかりで、その先生が目の前にいらっしゃったので大変
感激したのを覚えております。(元在マ、池田)
日本列島を覆う桜と茶髪(萬晩報転載)
■若者の茶髪・金髪は決して見てくれだけの話しではありません。一寸お調べになれば判ることですが日本の社会状況・教育の荒廃の結果がそのまま現れているに過ぎません。 幸か不幸か日本国籍をお持ちなら何処に生活の拠点を置かれようと浦島太郎を気取らずに現実を常に把握し直視
下さるよう僭越ながら提言します。(喜多)
■茶髪に関する沢山のコメント,楽しく拝見しました。唯,こちらでいえることは,「あくまで,唯のファッションだ」ということです。深い意味を探るのは,却って間違いのもとと思います。この点は昭和40年代の「長髪」とは違います.あの「長髪」には,「反体制」というイメージがつきまとっておりました。少なくとも最初は,そういう政治的主張と密接につながっていました。
その点,「竹の子族」以後は,何があっても「唯のファッション」といってよいと思います。そもそも昭和の初めの「モボモガ」以来「奇妙なサブ・カルチャー=ファッション」が間歇的に流行るようになりました。(小林)
その他、様々なご意見は「読者の声―日本列島を覆う桜と茶髪」をご参照。
Pak Lingの決断-辞めるべきか、辞めざるべきか
■伴さんのコラムを読んで以来の、隠れPak Lingファンです。早速「Pak Lingの決断」も拝読しました。以前のコラムのなかの「マイノリティーにはマイノリティーなりの生き方がある」というPak Lingの言葉、のほほ~んと生きている私にはとても衝撃的でした。Pak Lingの‘おみやげ‘がとても気になります。もし辞任ということになれば、Pak Lingがコラムに登場することもなくなるのでしょうか? (下村)
(雨降って地固まるというのでしょうか。6月5日、スパン国際空港で千人以上の支持者に熱烈に迎えられたリン大臣は、翌6日マハティール首相に運輸相留任の報告をしました… Mikiko)
漢字・ひらがな・カタカナ融合の美 (中国情報局転載)
■「継続は力なり」とは、中国情勢ニュースと中国コラムが昨年7月末にスタートして以来の合言葉です。その努力が実り、6月22日、伴美喜子氏の「漢字・ひらがな・カタカナ融合の美」で中国コラムがついに200号に達しました。
(中略)
マレーシア国民大学の伴美喜子氏のご寄稿は、何時も私達に南洋に暮らしている華人の生き生きとした新鮮な息吹を送っていただいております。
「マレーシアでなお息づく中国の農暦新年」、「仲秋の月に想う」、「私の名は「花子・太郎」」などは異国に暮らす華人の息吹を伝えてきたばかりでなく、その美しい文章表現にも読者を陶酔させるところが多い。
そして、不慮の事故で他界された弟様への鎮魂歌である連載―「アフリカの果てに散った、ある企業戦士」は、弟様に対する痛切な悲しみを訴えたと同時に、随処に深い人間愛、人種差別への抵抗、幼少時代への憧憬を行間に滲ませてきたような描写が多く、たいへん感動的で、情緒豊かな文章であります。是非ご一読していただきたいものであります。(中国コラム200号突破記念号 2000.6.23)