私の名は「花子・太郎」
大学の新学期(2学期)が始まり、久しぶりに「レベル1」の日本語も担当することになった。ところが、受講希望者が殺到し、登録手続きは大混乱を来してしまった。フランス語、ドイツ語、タイ語などの先生たちが「日本語だけ、どうしてそんなに大騒ぎするの?」とでも言いたげに、眉をひそめていた。
他の言語を学ぶよう勧めたり、定員30人のクラスを40人まで受け入れたりして、何とか授業開始にこぎ着けたのだが、さて、次の課題は百数十人もいる学生の名前を覚えることである。
日本社会では、相手の名前を知らずに会話を進めることができるが、外国では「名前を覚えること」が「会話」や「交流」の第一歩である。特に語学教師にとって、学生の名前を早く覚えることは、授業を効果的に、また楽しく行うための必須条件である。
ところが、マレーシア人の名前はこれが結構ややこしいのだ。今日はマレーシア人の名前について民族別にまとめてみたい。
●中国系の場合
まず、日本語の学生の大半を占める中国系から。中国名は日本人と同じように姓・名の順なので、はじめに出てくる部分に「さん」をつけて呼べばよい。
Liさん、Leeさん、Leiさん、Limさん、Lamさん・・・
Chewさん、Chiuさん、Chowさん、Chongさん、Cheongさん ・・・
名前を覚えようと神経を集中させて、顔を一人一人見ながら出席をとるのだが、どれも似た名前で紛らわしい。何回やっても覚えられない。私の必死の思いとは裏腹に努力は空回りするばかりだ。どうしてみんな同じような名前なの!と怒ってみても仕方がない。これが、彼らの正規の名前(表記方法)なのだから。
ある時から、私は名簿のローマ字表記の横に参考として漢字の名前を書き入れてもらうことを思いついた。すると、どうだろう。問題は意外に早く解決した。漢字の名と学生の顔はすぐ結びつき、それを手がかりにローマ字名を覚えていけばよかった。
私はこの過程で、中国系マレーシア人の出身地がいかに広範に亘るかを認識するとともに、漢字の持つ「威力」に改めて感心した。以下の表は私が学生たちから学んだことである。
姓
広東語
福建語
客家語
その他
参考
(Mandarin)
李
Lei
Li
Lee
Li
Li
林
Lam
Lim
Lim
Lim
Lin
陳
Chan
Tan
Chin
Ting
Chen
張
Cheong
Teoh
Chong
Tin
Zhang
葉
Yip
Yap
Yap
Yeap
Ye
黄
Wong
Ng
Wong
Ng
Huang
周
Chow
Chiu
Chew
Chiu
Zhou
王
Wong
Ong
Wong
Heng
Wang
雑談の中で、私はもうひとつの「方言」、日本語読みがあることを教えた。日本に行って漢字で名前を書けば、張さんはチョウさん、葉さんはヨウさん、黄さんはコウさんになりますよ、と。
学生の中に既婚者がいた。中国人の女性は結婚しても姓を変えない。そして、マレーシアでは黄(Ng)さんという女性が李(Li)さんという男性と結婚すると、Madam Ng、またはMrs Liと呼ばれる。
●マレー系の場合
マレー人の名前は中国名に比べれば記憶に残りやすい。しかし、ムスリムの人たちは苗字・姓がない。自分の名前の後に父親の名前を書くのだ。例えばHassan bin Buyongという名前はHassanが個人の名前でBuyongが父親の名であり、Buyongの息子Hassanという意味である。
娘の場合はbinの代わりにbintiを使う。太郎さんの娘の花子さんは「Hanako binti Taro」というように。binやbintiを省略して「Hanako Taro」と書く場合もある。
異教徒がイスラムに改宗した場合は、イスラムであることを示すためにムスリムの名前をつけなければならない。例えば、Imran Ho Abdullah(Hoは中国名)、Rahmat Kato Jiroのように。
日本に来たマレー人女性が父親の名前を姓と間違えられ、男性の名で呼ばれるということがある。笑い話ですむ時はいいが、マレーシアに持ち帰る証明書等重要な書類の記述の場合は気をつけなければ、一大事になることも ある。
因みにインドネシアの アブドゥールラーマン・ワヒド大統領は日本ではワヒド大統領と呼ばれるが、マレーシアの新聞ではアブドゥールラーマン大統領である。ワヒドは父親の名前である。同じことはサダム・フセイン大統領についても言える。正しくはサダム大統領であり、フセインは父親なのである。
●インド系の場合
詳しく調べたことはないが、タミール系の場合も姓はなく、自分の名前の後に父親の名が来るようである。binやbintiの代わりにA/L(Anak Lelaki、マレー語で息子の意)やA/P(Anak Perempuan、娘の意)を使う。 ビジネス・カードなどは、V.Rathakrishinanと父親の名はイニシャルで記し、自分の名だけ表記するケースもある。インド人の名前は長いので、Mr Rathaと短く呼ぶことも多い。
●日本人の場合
マレーシアにいる日本人の名刺を見ると、表記方法が入り乱れている。Mikiko Ban、Ban Mikiko、などなど。マレーシア人も混乱して、「Banさん」と言ったり、「Mikikoさん」と言ったりする(日本のことを少しでも知っている人はMr/Mrs/Missを使わず、「さん」を使う)。テレビや新聞でも時々日本人の名前がファースト・ネームで呼ばれ、一瞬誰のことだかわからず首をかしげることがある。
日本では1992年頃、旅券の表記方法が「名・姓」から「姓・名」方式に変わったが、その前後、日本人の姓名をローマ字表記する場合の順序論争があったようだ。また、加藤淳平氏は「文化の戦略ー明日の文化交流に向けて」(中公新書)の中で、この論争に1章を割いて、これまでの「名・姓」方式は欧米中心主義の追従であり、日本人の名前はそのまま「姓・名」の順序で表記すべきだという文化相対主義を説いている。
名前をどう表記するかは、小さいことのようで実は国際交流を進めていく上での基本姿勢を問う、重要な問題なのかもしれない。また逆に、「相互理解」、「相互交流」の第一歩は相手の名前を正しく呼べるようになることから、とも言えるかもしれない。