大げさでなかったマレーシアの中国農暦
昨日の授業でのことである。「おかあさんのお誕生日はいつですか」という質問をした。日にちを正しく言えるかどうか、「母」と答えられるかどうかをチェックするためだったが、なかなか返事がない。出来る子なのにおかしいなあ、と思って、「あらっ、大切なおかあさんの誕生日を忘れてしまったの?」と英語でからかった。
一瞬不思議な沈黙が教室に漂った。するとその気まずさを破るかのように一人の学生が助け船を出した。「ンさんのおかあさんは中国のカレンダーを使っているから、きっと毎年変わるんですよ」 半信半疑でさっき質問をした子の方を振り向くと、ほころんだ顔が頷いていた。
これには驚いた。コラムの中で「マレーシアでは中国農暦が生きている!」と書いてはきたものの、これほどまでとは考えてもみなかったからである。と同時に私の言っていることは決して大袈裟ではないと新たな確証を得たような気がした。ついでに、その母親の「生年」月日と「歳」を聞いてみるんだった、とも思った。
家に帰ってパソコンを開いたら、偶然にも同じテーマで読者のF氏より大変興味深く、示唆に富むメールをいただいていたので、以下にご紹介する。
お久しぶりです。
私は中学までは田舎で育ち、太陰暦(ここマレーシアの華人使用の農暦)の日本の旧正月を経験していたものですから、ここマレーシアに来て、農暦を大事に運用していることに驚きと共に懐かしみをおぼえました。
日本では農業社会が急激に工業社会に展開する中で,又旧来の神話に基ずく日本の成り立ちが戦後全否定される中から、日本文化としての香りはなくなりました。
一方ここマレーシアでは、8月のゴースト,中秋の月餅等季節感を伴わない(無い)にもかかわらず三皇五帝の時代にさかのぼる温帯農耕地帯に必然の農歴の習慣行事を守り続けています。これは民族としての国家をもたない華人華僑の人たちが、民族Identityとしての大きな安らぎ求める根拠にしているからかも知れません。(日本人は国、故郷に対してPatriotismを持てるし、まだ残滓を探し出して安らぎを得ることが出来る*1)
私の田舎では、新正月と旧正月と歴然と区別して祝っていました。祖母は旧正月に里へ出かけて祖母の母に挨拶をしていました。これも私が物心がはっきりしない昭和20年代~30年代までで、40年代に入ると廃れてしまいました。こういう現象は、「2000年の間、日本にはぐくまれてきた農耕文明の消滅」に私たちが立ち会っているのかも知れません。
つい30年前まで自然のサイクル(太陽エネルギー)に食料をゆだねていた我々が、石油という化石又原子力エネルギーにその主役を置き換えた瞬間に、文化の質が大きく交代してきているのかも知れません。
太陽暦は1秒以下の精度を管理できる科学主導の暦です。工業、情報社会にいる我々が整然と規律正しく事柄の前後を把握して行動するときには、格段便利で有効となり、情緒、民族文化の詩的介入を許しません。(太陰暦の時、50歳ぐらいの人は何歳と数えていたのだろうなあ?素朴な疑問です)
太陽暦に一番順応したアングロサクソンと日本人等が、今の石油文明の中で、世界に覇を唱えていると考えられないでしょうか? 例えば、約束した時間通り物事を行うことは自然の介入は無視されています。こうした太陽暦にもとずく時間概念が機能集団、社会とそれから出る新しいメタリックな文化を植え付けてゆく気がしています。
でも今回の貴方の故郷訪問いいですね、山田洋次の世界に帰れて、両親孝行できたことは。私もここペナンでの8年強の単身赴任生活を終えて、来年1月より常識的な家族生活(中2の娘とは初めての同居実感生活)の舞台に帰ります。
通産白書では、日本の約GDPの約35%(それ以上)が海外生産の付加価値とも。ということは日本人3人に一人はアジアの中で生活するかその労働力で生きていく基盤を構成しているのが今ではないでしょうか?私も貴方も間違いなくその中に含まれると思います。
では今後も益々ご活躍ください。日本でもアクセスさせていただきます。
注*1 ある知り合いの華人でここで事業に成功して、先月祖父母の出身地中国深釧近傍の寒漁村(祖母の話を信じて)を訪れたそうです。しかしその地は、ここジョージタウンより大きな都市に変貌して、貧しい村の痕跡さえも見出せなかったとの事です。
この人が言います。日本人の成功の要点は、国、企業等自分の公的所属している集団に対するPatriotism以外の何者でもないと…。