追憶の小さな旅(A journey of reminiscence)

大イベントの後、私は数日東京に逗留した。余韻に浸りながら、東京の懐かしい場所や知人を訪ね、追憶の旅を続けた。
🌸『マレーシア凛凛』のめこん社へ
まず、「新聞」に「私の子供」と書いた、『マレーシア凛凛』を出版してくれた「めこん」を十年ぶりに本郷に訪ねた。この本を出せたことが私の人生にとってどれほど大きな意味を持つかー心からの感謝を伝えるためである。
社長の桑原晨さんは元背年海外協力隊員でラオスで働いた経験がある。帰国後、「めこん」社を立ち上げ、半世紀以上東南アジア関係の書物をこつこつと世に出し続けてきた。その数は300冊以上。広いとは言えない社内に本の在庫がうず高く積まれていた。
奥様を交え近くのインド料理店で夕食をご馳走になった。お二人の仲人をした私の両親のこと、金沢で結婚祝いの暖簾制作をされていた桑原さんの父上のこと、昨年の敬宮愛子さまのラオス訪問のことなど、特に女同士のおしゃべりが弾んだ。桑原さんは遠く時の流れを見つめるような眼差しで、口数少なく、終始ニコニコとされていた。
人生の恩人にお礼を伝えることができ、嬉しい安堵の一夜となった。

🌸ユソフさんの布にもう一度抱かれたい!
次に私の人生で女としての楽しさを教えてくれたバジュクロンともう一度戯れてみたいと思った。マレーシアの民族衣装バジュクロンを処分した話は前にも書いたが、実は1枚だけボルネオ島のイメージのユソフさんのバティック布が残っていた。母がマレーシアに来た時に選んでくれたものだが、褐色の色があまり好きではなかったので、服には仕立てず、布のまま物覆いなどに使っていた。その布がなぜか急に愛おしく、またユソフさんが懐かしくなって、喜寿の記念に上衣に仕立ててもらうことにした。デパートで初めてオーダーメイドなるものを試みた。柄合わせ、仮縫いもし、4月初めに出来上がってくるのを楽しみにしている。

🌸高校時代の下宿先へ
弟と私は高校時代、アフリカから帰って三鷹御殿山の近藤正平さん(元西高校長)のお宅に下宿した。多感な時である。
近藤家とは今も付き合っていて、末っ子のシーちゃん(山本静子さん)とは姉妹のように仲良くしている。上京の折には必ず会うし、高知からも時々電話で長話をする。今回も我が家の大イベントの成功を温かく見守ってくれた。
シーちゃんに連れられて、4年ぶりに近藤家を訪ねた。跡を継いでいる長男の信義さんは国文学者で元大学教授。知的で柔和なお姿は今も変わらない。奥様の康子さんは私たちがいた頃、嫁いで来られた爽やかな美人さん。年頃の弟の憧れだった。
実家に戻ったような安堵感に浸って半日をを過ごした。バースデーケーキと夕食は届いたばかりのタラバガニで私の77の節目を祝ってくださった。
🌸吉祥寺で夜遊び
その夜は吉祥寺に引っ越したばかりの正薫さんの家に泊まった。帰りが9時半になるというので、シーちゃんが夜遅くまで付き合ってくれた。探しておいてくれたお店は「夜パフェBAR」。桜のライトで飾られており、私たちは「サクラ」のカクテルを飲みながら時間を潰した。マスターがユニークな人で独特の語り口に私たちはクスクス。妙に面白く、楽しかった。久しぶりの夜遊び? 大勢の若い女性に混じって、後期高齢の老女が二人、長居をしている姿は異様だったかもしれない。

🌸甥の家でお泊り・みっこちゃんの味噌汁
その夜は千葉には帰らず実家に泊まるというシーちゃんを見送った後、真夜中のスーパーで買い出しをし、正薫さんの新居に向かった。
前のアパートより広くなっていて、学生気分が抜けて、正薫さんも社会人になっているのだなあ、とほっとした思いだった。
翌朝は前夜買った食材で(お米や味噌も!)おうちごはんの朝食。二人で仲良く台所に立った。もちろん、みっこちゃんの味噌汁も作りましたよ。正薫さんが冷蔵庫に残っていた「萎びた」ほうれん草で作ってくれた胡麻和えもなかなか美味しかったです。
🌸最中の「小ざさ」健在!
昼過ぎに町に出た。吉祥寺は小中学生時代に住んだ懐かしい町だ。駅付近は大変貌を遂げていて、まるで新宿のような賑わいだった。目指すはダイヤ街の羊羹と最中の店「小ざさ」。
うっかり見落としてしまいそうな狭い間口のお店は70年以上(1951年開業)の時を経て、相変わらず大繁盛していた。最中は大きさも形も変わらず,包装も昔のまま。「流行」には乗らず、頑なに「不易」を守り通していた。
私は故郷の友人にも思い出をお裾分けしたいと思い、東京おみやげは「小ざさ」と決め、何箱か注文して高知に送った
近くの茶屋山利屋では60年前と同じほうじ茶の「輪転」機が、ゆっくりと、まるで時を刻むように規則正しく回り、あたりに芳しい香りを漂わせていた。小さい頃嗅いだ匂い...! 私は暫しこの町の記憶に浸ったのだった。

🌸亡き幸衛の幼な友達、たか子ちゃんとの再会
今回は珍しい方にも会った。吉祥寺に住んでいた頃、ガキ大将だった幸衛の唯一の女の子のお友達、勝貴子さん。とても可愛い女の子だった。成人して国際交流基金で再会したが、その時はお互いにご縁を感得できるほど成熟しておらず、仕事も忙しく、深くお付き合いすることがなかった。十年以上も前、再び再会し、「いつかゆっくりお会いしましょう」と約束しながら、年賀状の交換のみとなっていた。今回勇気を出して連絡を取ってみたら、大変喜んでくださり、吉祥寺で会うことになった。
貴子さんは、それはそれは懐かしがってくださり、長い年月はあっという間に埋まった。表情豊かな笑顔で私の話を聞いてくださり、お互いの両親のこと、家にお風呂もなかった貧しい時代の思い出・・・話はつきなかった。
別れ際に私は小冊子「アフリカに散ったある企業戦士」をお渡しした。その夜、感動のメールがスマホに届いていた。
🌸闘病中の純子さんからの祝福
英語で言えば「last but not the least」、今回私の喜寿を心から祝福してくれたもう一人の友人のことを記しておかなければならない。マレーシアで知り合い、帰国後も親しくしている奈良坂純子さん。 ご自身闘病中にも拘らず私のためにビッグサプライズをあれやこれやと思案してくださり、最終的には日本橋のマンダリンホテルのSENSEというレストランでの素敵なランチとなった。素晴らしいい展望の中、美しく、薬膳のように体に優しい中国料理のフルコースを堪能した。
羽田を立つ日、彼女は「散歩ですから」と水天宮TCATまで見送りに来てくれた。翌日から十日間の治療に入るというのに!
🌸喜寿の旅ーフィナーレは雪の富士山!
東京で素晴らしい時間を過ごし、私は故郷へと帰った。夕方だったが、飛行機の中から白い雲海に浮かぶ富士山が見え、今回の喜寿の旅のエンディングに神を感じた。私は手を合わせた。素敵な旅をありがとう❣







Comment from すみ子
時間 2026年4月6日 12:51 PM
まあ、美喜子さん、まさに「人生プレイバックの旅」をされていたのですね!
これからまた高知での旅をご一緒できますよう、よろしくお願いします。