マレーシアで感じる日本人としての幸せ
マレーシアで暮らす多くの日本人は、この国を居心地のよい国だと感じているようだ。 理由はいろいろ考えられるが、ひとつにはマレーシア人の日本人に対する暖かい「まなざし」というものがあるのではないだろうか。
クアラルンプールは、多民族から成る市民に加え、大勢の外国人が住む国際都市だ。環境が人を育てると言うのだろうか。クアラルンプール市民は外国人に対する暖かく、スマートな接し方を身につけているように思う。この外からの「客人」に対するもてなし上手という文化は、この地域がかって東西交易の中心として栄えたマラッカ王国時代以来の伝統かもしれない。
しかし、外国人と言っても、皆が同じような接し方を受けているわけではない。建設現場や清掃関係に従事しているインドネシアやバングラデシュ等からの下層外国人労働者に対するマレーシア人の視線は、日本人や西洋人(ここでは、orang putih=白人と言う言葉が使われている)に対するものと、その向きや傾斜が異なっている。同じマレーシアに住む外国人であっても、それぞれの出身国に対し、マレーシア人がどのようなイメージを抱いているかによって、居心地は違ってくるのだ。
マレーシア人は、日本人をどのような「まなざし」で見てきたのだろうか。
マハティール首相著「A New Deal for Asia」が出版された。 私はまだその本を手にしていないが、内容の抜粋が新聞に紹介された。日本関係に関する言及が多いのに驚いた。
マハティール氏は日本の植民地時代に日本人が、いかにして英国を打ち負かしたか、日本人がどんなに規律正しい国民であるかを目のあたりにし、
「このことは、私に衝撃を与え、のちに、ディシプリンさえあれば、ほとんど何事でも成し遂げられるのだと確信するに至った。かくして私たちは目覚め、強い意志さえあれば、日本人のようになれるのだ、という自信を与えられたのだ。」と述べていると言う。
歴史を下って、次のようにも語っていると言う。
「アジアの奇跡が謳われた時代、大きな役割を果たしたのは外国からの援助ではなく、外国からの直接投資であった。マレーシアに、大挙して日本企業がやってきた。今日、日系企業の生産はマレーシアのGDPの23%を占めている」
続く2章は「アジアの価値観」とアジア更生のための日本の役割について書かれているそうだ。
マハティール氏は30年前に「マレー・ジレンマ」と言う本を出している。1983年に出版された日本語版に同氏が寄せた「ルック・イースト政策について」という一文を改めて読み返してみた 。
「マレーシアはこれまで、西洋の影響を強く受けてきた。それは決して悪いことではなかったが、今や西洋は、その価値観の基本である個人主義の弊害が出始め、衰退の兆しを見せている。 他方、アジアに目を転じると、日本や韓国が集団の利益を個人の利益よりも優先させて、めざまし発展を遂げている。この集団や国が個人よりも重要であると言う哲学が生み出した労働倫理ーー規律、忠誠、勤勉などーーをマレーシア人に学ばせ、マレーシアを豊かな国に発展させたい」
要約すると、これが、1981年に提唱された「ルック・イースト政策」の主意であったと言えるのではないだろうか。
戦後の日マ関係の基本に、マハティール首相や他の指導者たちのこのような対日観があったことを忘れてはならないだろう。
一部に、過去の日本の「軍国主義」に対する批判の声がないとは言えないが、多くのマレーシア人は、過去に拘泥することなく、未来を志向している。 このマレーシア人の懐の大きさを大切に受けとめたいと思う。
「今現在」の日本は、どのように写っているのだろう。
マレーシア人の日本に関する意識調査などによると、「日本は経済的に豊かで、生活水準が高い。」と、経済大国のイメージが強い。クアラルンプールの高級デパートに溢れる日本のもの、 優雅な生活をしている駐在員や金離れのいい旅行者を見ての実感でもあろう。また、日本は自然が美しく、文化水準も高いと見られている。
さらに言えば、日本食への憧れは、日本人のフランス料理に対するものに似ているし、日本女性をほめる時、「色が白くて、美しい」と言う人がいる。「日のいづる国」は今も日本の枕詞として使われることがある。
面映ゆいこともあるし、過去の日本人の姿が鮮やかに生きていることに驚くこともあるが、何れにしてもこのような好意的なまなざしの中で暮らせることは幸せなことである。 そのひと個人の資質とは関係なく、ただ日本人であると言うだけでどれほど背筋を伸ばして歩けることか。
しかし、イメージには時間的なズレがあることを忘れてはならない。現在の日本のイメージは日本の歴史とマレーシアにやってきた先人たちの行いの積み重ねによって、形成されたものである。過去の日本人が「残虐非情な悪人」ばかりであったのなら(もちろんそのような人もいただろうが)、いくらマレーシア人が優しくとも、日本人として、今のような余慶を享受できただろうか。
私たちは、歴史の中に生きている。20年、50年後の日本人は、このマレーシアの地において、どんな「まさざし」で見られるだろうか。思いはふと未来に飛んだ。現在の私たちの行い一つ一つが、「未来」をすでに描き始めている。
(注:訪日中のマハティール首相は、6月3日に「A New Deal for Asia」の日本語版「日本再生・アジア新生」の出版記念会に出席の予定。