三週間。アフガン空爆の重いニュースに耐えるのもそろそろ限界が来た。
 他方、世界各地で貧しい人々が「反米」の過激なプラカードを掲げ、叫び、時には暴徒と化する映像にも、やるせないものを感じる。彼らの意図とは関係なく、結果として「私たちの国は危険です」と世界に向かって宣伝しているようなものだからだ。この中には職のない者、満足に食べていない者もいるのではないだろうか。

 「アフガン攻撃反対」だけではない、何かしら、もっと深い社会の怨念のようなものが世界各地で吹き出しているような気がする。この集団フラストレーションを各国の指導者たちはどう収めていくのだろうか・・・。

 「マレーシアは豊かだから、絶対にあんな風にはならないよ…」と誰かが言っていた。
 ―そうだ。マレーシアが「冷静」でいられるのは「衣食足って」いるからなのかもしれない。

 先日、宮田律著「現代イスラムの潮流」(集英社新書)という本を読んだ。文中にある2000年の資料によれば、イスラーム諸国の一人当りのGNPはサウジアラビアの7150ドルを除いて、みなマレーシア以下だ。マレーシアが4530ドル、イランが1780ドル、エジプトが1200ドル、インドネシアが1110ドル、パキスタンが500ドル、バングラデシュが360ドルである。

 テロが起きる原因をたぐっていくと、遠因として、地球上の富の偏在、貧困という途方もない問題にも突き当たる。これから人類はどのようにしてこの難問と戦っていくのだろうか。

 さて、今回の一連の事件ではマレーシアも他国と同じように経済的な打撃を受けているようだ。

 先日も日系電気メーカーに勤める教え子から電話があったが、彼女の話によれば最大の輸出先アメリカからの注文が大幅に減っているとのことで、このような身近な話を聞くと、対岸の火事とも思えなくなってくる。電気産業と観光で成り立っているペナンなどは特に影響が大きいと聞く。

 10月15日のテレビ・インタビューでマハティール首相は経済についても語った。政府と民間部門、国民が力を合わせてこの不況を乗り越えなければならないと訴え、国内消費を増やすことが重要で、例えば、国外旅行をやめて大いに国内旅行をするようにと奨励した。

 これに呼応するような形で、翌週文化・芸術・観光相のインタビューがあった。観光産業はマレーシアがここ数年、特に力を入れている分野であるが、同相はマレーシアが安全な国であることを大いに世界にPRし、観光客を誘致しなければならないと力説した。

 「今の時期、アメリカに観光旅行に行く人は少ないでしょう。特にムスリムの人は控えるでしょうね。そういう人たちには是非マレーシアに来てもらいましょう。近隣諸国、イスラーム諸国、欧米の人たちにもっともっと来てもらって、休日をエンジョイし、多民族国家マレーシアの良さを知ってもらいましょう」

 「また、この機会に皆さん、大いに国内旅行をしましょう。国の経済を助けながら、自国の理解を深め、また家族の絆を深めることも出来ます。今度の学校の長期休み(11月9日より約2ヵ月間)には是非家族でマレーシア国内を旅行してくださーい!」と明るく語っていた。

 1997、98年の経済危機の折にも気づいたのだが、危機をチャンスと捉える前向きな姿勢がこの国にはあるようだ。当時、中国系の人たちが中国語では「危機」の「機」には「チャンス」という意味があるのだとしきりに説いていた。

 そんな、したたかで、楽天的なこの国の国民性を、今また思い起こしている。

 テレビでは、マレーシア各地のリゾートの映像ををバックに、国民的歌手シティ・ヌルハリザさんが甘く軽やかな声で「Cuti Cuti Malaysia」(Cuti は休暇と言う意味で、チュティ・チュティと読む)と歌っている。愛くるしい彼女は、まるで地上の憂鬱な空気を一掃し、太陽の光をもたらしてくれる天女のようだ。

 政府と国民がどの位「いい関係」を保てるか、 ―それが逆境を生き抜くひとつのカギではないだろうか。

 思いがけず7回にわたって連載することになった同時多発テロ・アフガン攻撃関係のコラムは今回の少し明るい話でひとまず区切りとしたい。