毎年7月にマレーシアで開催される盆踊り大会はマレーシア市民と日本人の揺るぎない友情の証しである。私はこの行事を日マ関係の緊密さを示すひとつのバロメーターだと思っているが、今年の状況を見ても両国の関係が益々深まっていることが窺える。

 今年で第25回を迎えたクアラルンプール盆踊り大会(7月14日)は、これまでの松下スポーツ・センターが狭くなって、会場をシャーアラーム・スタジアムに移して実施した。参加者は5万人(日馬プレス)。

 他方、第6回を迎えたペナン盆踊りチャリティー・カーニバル(7月21日)もコー・ツークン州首席大臣を迎え、クアラルンプールに劣らぬ盛り上がりを見せた。参加者は昨年の2倍以上、約3万人だった。


再掲

南国の夜空に広がる日マ友好の輪

1999年7月22日

 毎年7月、常夏のマレーシアに「日本の夏」がやってくる。クアラルンプール日本人会が主催する恒例の盆踊り大会が7月17日、シャーアラムにある松下スポーツ・センターで開催された。今年で23回目を数えるこの”Bon Odori”には在留邦人ばかりでなく、多くのマレーシア人が参加し、この季節の風物詩としてすっかり地元に根づいている。

 今年は、過去最高の4万5千人の人出があったそうだ。1998年の在留邦人の数はマレーシア全体で11,726人、クアラルンプール及びスランゴール州で7,638人であることを考えれば、いかに多くのマレーシア人が参加したかがわかるだろう。

 昨年は、来マ中の弟と参加した。私が住んでいるコンドミニアムは日本人が多いこともあり、マネジメント・オフィスが往復のバスを仕立ててくれた。会場まで車で1時間もかからないが、駐車の心配をせずに済むのが有り難かった。同乗者は日本人よりもマレーシア人や外国人の方が多かった。

 7時ごろ着くと、会場は既に熱気に包まれていた。入り口で一人ひとり団扇をもらい、中に進むと、電光掲示板には「BON ODORI」の大きな文字が見え、演奏中の曲目もその都度表示されていた。グランドの中央には立派なやぐらが建ち、その周りには幾重にも人の輪ができて、皆楽しそうに踊っていた。浴衣姿も多く、まるで日本にいるような錯覚を覚えた。

 踊りの輪の外では、人々が三三五五ぶらついたり、ビニールを敷いてお弁当を食べたりしていた。日本食の出店も繁盛していた。歩いていると、焼き鳥や寿司をつまんでいる大学の教え子や、青年海外協力隊の日本語教師に引率されて、遠くコタバルから夜行バスでやってきたレジデンシャル・スクールの生徒たちにも出会った。

 私たちはビールを買ってスタンドに座り、この不思議な日マの民衆の輪=和を飽きずに眺めた。 年輪のように年ごとに大きくなっていくこの友情の輪は、これまでの日マ交流の努力の結実でもあり、また両国の民衆レベルでの絆の強さを物語っているように思えて、感動的だった。

 1977年に始まったこの盆踊りは、当初日本人学校の校内行事として行われていた。1984年に日本人会との共催となり、会場も国立競技場に移った。1992年(当時のマレーシア在留邦人の数は7千人余り)からは松下スポーツ・センターで行われるようになった。

 1995年の情報であるが、松下グループはマレーシアに17社を有し、従業員は約3万人。全マレーシア輸出総額に対する同グループの輸出比率は3.8%に及ぶ。約2万坪のスポーツ・センターは従業員とその家族の福祉向上と地域社会との交流の目的のため、1991年に建設されたものである。

 これまでクアラルンプール日本人会主催で行われてきた盆踊りは、今年からマレーシア側の文化芸術観光省との共催に発展、後援も従来の日本大使館、日本人学校、同PTAの他、東方政策留学生同窓会が加わった。運営費用(昨年は18万リンギット、約540万円)は日本人会の予算と企業等からの寄付でまかなっている。

 1993年からは、日本大使館、国際交流基金等が主催する 年一度のJapan festival in Malaysia の一環となり、過去にはマレーシア側より副首相、日本側より八代亜紀や九州地方の郷土芸能などが参加している。正に、日マ交流の最大イベントともいうべき行事である。 なお、この盆踊りは在留邦人約1,500人が住むペナンでも開催されている。