昨年4月に野村一成大使(現沖縄大使)が3年半の任期を終えて帰国される折、紀子夫人がクアラルンプール日本人会の会報に次のような主旨のお別れのメッセージを寄せられた。

 「マレーシアの生活はとても楽しかった。マレーシアの印象を三つの”C”で始まる形容詞で表わせば”colorful” “comfortable” “caring”ということになるかと思う」

 マレーシアの特徴をよく言い当てておられると思った。実は私も1996年に一度マレーシアを去る時、同じように三つの言葉で、マレーシアの印象を書き表わしたことがある。私の場合は”care” 、”share”、”dare”の三つであった。

 さて、紀子夫人が第一に上げられている”colorful”とは服装等の色取の明るさばかりでなく、文化的な「豊かさ」も含めて言っておられるのだが、マレーシアを訪れる多くの日本人の「第一印象」を言い当てて妙を得ているのではないだろうか。

 私も一時帰国の折りに、母にマレーシアの人たちと撮った写真を見せると、「まあ、カラフルね!」とよく言われる。

 マレーシア人、とりわけマレー系とインド系の人たちの服装は実に艶やか、華やか、時にはショッキングですらある。人が多く集まるところに行くと、色彩が眩しくてクラクラとすることもある。熱帯ではベージュやグレーなどシックな色は生えない。茶褐色の肌や青い空、豊かな緑には明るい色が合う。そんな、周りの環境の影響もあるのだろうが、それにしても、色彩感覚、美意識というものは民族によってかなり異なるものだなあとしみじみ思う。

 今日こんな「色」の話を始めたのは、2月5日の中国正月を前にクアラルンプールが「赤」に染まっているからである。ショッピング・センターやホテルには赤い提灯がいくつも飾られ、我が家の近くでは、「福」と書かれた真っ赤な旗が十何本もの竿に付けられ、パタパタと音をたてて風に吹かれている。まるでこれから「戦」でも始まるかのようだ。

 中国系の友人たちに、と思いカードを買いに行ったら、これがまたほとんど赤。数十種類もあるのに、なかなか日本人好みのものはなく、ただただ赤で塗りつぶされているという感じのものが多い。

 なぜ、中国人はこうも赤が好きなのだろう。日本人と違うなあ、と毎年この季節になると考えさせられてしまう。

 司馬遼太郎が『風塵抄』のなかで「都市色彩のなかの赤」という文を書いている。赤は「危険と刺激と警告」の色であり、赤の多用は「色彩の騒音」、更には「言い過ぎを勘弁してもらえば、赤が多用されればされるほど、町のガラは下がるようである」とも述べている。

 そして、「朱の一点」こそ「赤の効果」だという。例えば、鉄斎の「水墨で表わされた夕暮れの山中に豆粒ほどの人物が、赤い衣を着て、草むした土橋をわたっている」作品や「南河内観心寺の如意輪観音の御唇の赤」にこそ赤の究極の美があると。

 赤に対する日本人と中国人の美意識の違い・・・。何人かの人に「どうして、中国人はそんなに赤が好きなの?」と問いかけてみた。「うーん、そうね。赤は明るくて、めでたい色、福をもたらす色だから・・・」との答え。

 ところが、先日学生たちと日本の昔話「つるの恩返し」や「浦島太郎」を読んだ後、「皆さんの間で有名な昔話を教えてほしい」と言うと、「怪獣Nian」の話を教えてくれる者があった。中国正月に因み、以下に「怪獣Nian」の伝説をお届けする。

 「中国正月はなぜ、赤ずくめなの?」という私の疑問に対する答えにもなっているが、もちろん、これで赤をめぐる文化論が終わるわけではない。因みに、マレー人が好む色は緑だそうである。緑はイスラームの色。そう言えばイスラームの国の国旗はほとんど緑色を使用している。

 ●怪獣「Nian」の伝説

 昔むかし、中国のある村に、寒く厳しい冬の終わりになると海の方から「Nian」(「年」と同じ発音)という怪獣が出て来ては、村を荒らし回り、村人たちを食べたりした。村人は恐怖に脅え、毎年その頃になると、山に逃げるのだった。

 ある年、一人の仙人が現れ、村人たちに知恵を授けた。

「Nianは赤を怖がるから、村中を赤で飾りなさい。そして、太鼓やシンバルやどらを激しく打ち鳴らして、Nianを追い立てなさい」

 Nianが現れると、村人たちは仙人が言った通りに太鼓やどらを必死でたたいた。そして、赤い爆竹を鳴らし、赤い旗や提灯を振り回してNianを追い払った。大嫌いな赤と騒音と煙りで居たたまれなくなったNianは、慌てて逃げて行ってしまった。そして二度とその村に現れなかった。

 村人は村中を赤い旗や短冊や提灯で飾り、赤い服を着て勝利を祝った。

 中国人が農暦新年を「春節」としてのみならず、「Guo Nian」、即ち「過年」として祝うのはこの伝説に由来している。