中秋の名月、旧暦葉月15日


万代橋近くにある興南寮跡碑


 旅の2日目、私たちは平和記念資料館を訪問した後、元安川ほとりの興南寮跡碑を訪ねた。1976年に建てられたその記念碑は大きな夾竹桃の下にひっそりと建っていた。興南寮の近くに住み、留学生たちの友人だった花岡俊男さんが尽力して建立したその碑は今も家族が守っているそうだ。

 実はこの辺りに我が家と3代にわたって親戚のような付き合いをしてきた植野克彦さん(92歳、被爆者)も住んでいたという。留学生たちのことも覚えていて、私が広島に行く話をしたら、ラサ・サヤンを口ずさんでくれた。不思議な縁だ。



 その後私たちはタクシーで広島市から10キロ離れた五日市の光禅寺に向かった。ニック・ユソフさんのお墓を訪ねるためである。

 ニック・ユソフさんはマレーシア北東部のコタバル(当時英国領で、日本軍が真珠湾攻撃の約1時間前に上陸した町)生まれで、南方特別留学生の第1期生である、彼にまつわる情報は多くはない。被爆直後のことは『明子 被爆者である母のこと』の解説に次のように書かれている。

 
 ニック・ユソフさんは興南寮で被爆したのち、五日市方面に避難したと考えられています。なぜユソフさんが一人だけ五日市方面に避難したのか、その理由は不明で五日市のどこでどのように亡くなったかも定かでありません。五日市国民学校の校庭で荼毘に付された遺体に名前がわかるものがあったようです。



 小高い丘に建つ光禅寺は450年の歴史があり、1500基ものお墓が眠っている。ユソフさんのお墓の場所を尋ねようと私たちは本堂の方向に向かったが、幸運にも入口を入ってすぐにユソフさんのお墓を見つることができた。見晴らしの良い所にあるイスラーム式の立派な墓だった。ユソフさんのことが書かれた真新しい看板が立っていた。今年8月の在日マレーシア大使の訪問に合わせて作られたものだろうか。
 被爆した痛々しい体で人知れずこの世を去った19歳の青年を想い、私たちは手を合わせた。





 ここで、ユソフさんとオマールさんのお墓が建てられたいきさつを述べておきたい。
 イスラームでは死後24時間の日没前に死去した地に遺体を埋葬(土葬)しなければならないと言われている。そんなムスレムがどうして仏教のお寺に眠ることになったのか。



❤ユソフさん
 ユソフさんの遺骨を保管していた現住職の祖父星月晨人住職がイスラームのお墓について調べ、1964年に自費で立派なお墓を建てた。アジア学生文化協会がマライの南方特別留学生の遺族団を招へいして実施した慰霊祭に合わせてのことだった。 

 2024年にはニック・ユソフさんの姪ニック・マヒザンが訪ねている。住職から直接いろいろな話を聞いて、最後に「言葉では表現できないほど感動しました。ありがとう」と礼を述べて帰ったという。ここにも国境を超えた友情の物語が息づいている。

 広島高等師範学校と広島文理科大学の後身である広島大学は毎年8月6日に光禅寺でニック・ユソフさんの法要を行っている。

リンク:🌙原爆で死亡したマレーシア人留学生 寺に建てられたイスラム教の墓(YouTube)


❤オマールさん
 大日山の京都市営墓地で朽ちかけていたオマールさんの墓のことを雑誌の記事で知った京都の園部英文さんがお墓の再建を思い立った。英文さんは若い頃ブラジルに渡った経験があり、オマールさんのことが他人事とは思えなかったと言う。弟の健吉さんの協力もあり、1961年に京都の圓光寺にイスラーム式のオマールさんの墓が完成した。

 マレーシアの家族はもちろんのこと、マハティール元首相夫妻も圓光寺を訪ねている。

 毎年9月3日の命日前後には市民によってオマールさんの法要が圓光寺で行われている。

 特記したいのは近所の修学院小学校の生徒が早川先生の指導の下、地域学習の一環としてオマールさんのお墓の存在を知り、オマールさんを訪ねる長い、長い旅を始めたことである。30年以上も続くこの平和教育運動については以下をご覧いただきたい。

早川幸生編「オマールさんを訪ねる旅ー広島にいたマレーシアの王子様」(かもがわ出版、1994)

リンク:🌙南方特別留学生 オマールさんを訪ねる旅 ①②③④⑤(YouTube)



 このように広島や京都でイスラーム教徒の被爆留学生が市民の手で守られていることはせめてもの救いであり、日本人として誇りに思っていいのではないだろうか。

 今回一つ残念だったことは被爆した留学生たちのことを調べ、母国マレーシアに伝える活動をされている広島市立大学のヌルハイザル・アザム・アリフ准教授(国際学部国際学科,専門は国際ビジネス)にお目にかかれなかったことである。広島とマレーシアの架け橋の大事なキーパソンに今後の平和教育の展望についてお話を伺いたかった。

 5回にわたり連載してきた「被爆した東南アジアの留学生を想う旅」は一先ずここで終わることとしたい。彼らと関わった方々、彼らの物語を語り継いで来れられた方々に深い感謝と敬意を表し、心から平和を祈って筆を置きます(パソコンを閉じます)。

2026年中秋の名月




https://hpmmuseum.jp/modules/event/index.php?action=PageView&page_id=64




参考:
1.広島平和記念資料館企画展「被爆した東南アジアの留学生」~アジア学生文化協会とのかかわりを回想する~(アジアの友 No566 2026.4-6)
2.平野裕次「被爆した南方特別留学生と戦後の日本社会」(広島史学研究会『史学研究』2018年3月