まさか自分がホームページを開くようになるなんて…
マレーシアでは2つの邦字紙、『日馬プレス』と『南国新聞』 が発行されているが、4月13日付の『南国新聞』に「ホップ・ステップ・ジャンプ」と題して、Mikikoのインタービュー記事が載ったのでご紹介する。
●Mikikoのインターネット奮闘記
マレーシアに関する非営利のホームページの先駆者といえば、「じゃらんじゃらん」を思い浮かべる人も多いかと思う。インターネット・ブームの波に乗って、最近ではマレーシアについてのホームページもチラホラとうかがえるようになったが、またその列にあたらしい仲間が加わった。主に自分の体験や感想に基づいてマレーシアに関するエッセーを発表している伴美喜子さんがその人だ。
伴さんが「ミキコ・トークス・オン・マレーシア」というホームページを開設したのは1999年8月のこと。「マレーシアで見聞きしたことを徒然に書きつづった」(伴さん)エッセーの本数も3月中旬の時点で約60本に達した。そのタイトルを見ても「マレーシア的マルチ言語社会」「心地よいクアラルンプールの自己申告の店」「タクシー・ドライバーのよもやま話」「マレーシアの若者が見た『日本の国際化』」「小さな国の大きな包容力-旅人が感じたマレーシア」と一度は読んでみたい気分にさせるようなエッセーが並ぶ。
「上から見下ろす視点ではなく、一生活者の視点で、マレーシアのもつ原風景のよさとか多民族社会の雰囲気を伝えたい」という姿勢がエッセーを書く際の基本という。アクセスは4ヵ月もしないうちに1万回を超え、現在は2万回に迫ろうとしている。
個人でホームページを開設してエッセーを書きつづけているのだから、もともとコンピューターの得意な人だったんだろう、と思いきや、さにあらず。
「ホームページを開設することになったのも日本で新聞記者をつとめている弟の影響。弟は98年に自分で『萬晩報(よろず・ばんぽう)』というホームページを開設したので、私もそこに時々寄稿をしていたんですけど、その弟が『お姉さんも自分でホームページを開設してマレーシアに関するエッセーを掲載していけばいいよ』と気楽に言ってきたんです」
「でも、わたしはそんなこと言われる前までコンピューターどころかワープロだって満足にさわれない人間だったんですよ。ですから、ホームページなんて他人様がつくるもので、まさか自分が開設することになろうとは夢にも思っていませんでした」
そんな伴さんの決定的な転機となったのは、伴さんの弟が99年の春にマレーシアを訪問した際にコンピューターを置いていったことだった。「コンピューターくらいいじれなくちゃ、21世紀は生き残れないよ」と言い残して。
「もう弟に強制されたような感じで。弟がその後、『8月1日にお姉さんのホームページを公開するからどんどんエッセー書いてよ』と言ってきたので、もう逃げられないという気持ちになってしまいました」
いわば「他力本願」で始まったホームページだが昔の同僚から「あの伴さんが・・・」といった驚きのメールを受け取ったり、思った以上に読んでくれる人が多かったことを励みにここまできたという。エッセーのホンワカした感じが読み手に受けているようだ。
1991年から96年にかけての4年半、国際交流基金の駐在員としてクアラルンプールに滞在した後、いったん帰国して同基金を退職後、マレーシアに戻ったほどマレーシアが好きになったという伴さんのマレーシアの合計滞在歴は8年近くになる。97年からはマレーシア国民大学で日本語を教えている。
「最初に来た時のイメージがよかったんですね。それで病みつきになってしまいました」という。 マレーシア観察はこれからも続く。「一年とか、コラムが100本になるとか、一定の区切りがつくまでエッセーを書いて載せていくつもりです」と語る伴さんのホームページのURLは: http://www.02.246.ne.jp/~kiara/