「このまま見過ごすわけにはいかない。やってみるしかない。しかし、必ず成功するという保証はない」
 1998年9月1日、大学からの帰途、何気なくつけた車のラジオから聞こえてきたマハティール首相の悲壮な声が耳に残っている。「経済政策に関する重大な発表」の中でマハティール首相はマレーシアが直面していた危機を国民に訴えていた。

 その日、マレーシアは既にその1年前から続いていたアジア通貨・経済危機を乗り越えるべく、ただちに一連の資本規制措置に踏み切った。マレーシアの通貨であるリンギットの固定化を一方的に宣言し、一年間にわたり外国人(非居住者)が株などの売却代金を海外に持ち出すことを禁止した。

 タイやインドネシアは国際通貨基金(IMF)による金融支援を受け入れ、引き替えに高金利と緊縮財政を余儀なくされていたが、マレーシアはIMFの支援を断固拒否し、マレーシアの金融市場を世界から隔離するという独自路線を選択した。

 マレーシア市場を撹乱していた欧米の投機筋の資金をシャットアウトするのが目的で、世界の金融市場の自由化に反逆する危険な賭けでもあった。

 一年後の1999年9月1日、その凍結されていた海外資金が解除された。この日、多額の海外資金が引き揚げ、マレーシアは再び経済的困難に陥るだろうとの予測も一部にあったが、資本規制導入一周年は大きな事件もなく平穏に過ぎた。その日、流出した額は3億2800万ドル相当にとどまった。

 一年前、マレーシアが一年後にこのような平和な日を迎えられると誰が予測できたであろう。国の命運をかけて決断したマハティール首相自身でさえ、この日が平穏に来るとは予測できなかったに違いない。

 資本規制導入の発表の翌日、9月2日にアンワル前副首相兼蔵相が解任された。スキャンダルがらみのこの事件はマレーシア中を震撼させた出来事だった。その後数カ月間、マレーシアは荒れた。荒れ捲くった。

 当時、世界のマスコミは「マハティール首相アンワルを更迭し固定相場制に逃避」「マレーシア通貨『鎖国』、一年後外貨尽き、マハティール失脚も」「マハティール首相の危険な賭け、独裁国家への逆コース」などと不安感を掻き立てた。

 私は、マレーシアが世界に提唱した「アジア・ルネッサンス」の夢はこれで水泡に帰し、アジアは再び「後進」の世界に閉じ込められるのだろうかと憂鬱な日々を過ごした。

 昨年大幅なマイナス成長でどん底に陥ったマレーシア経済は今年に入って上向きに転じ、日々明るさを増している。実はその間、懸念された外国からの直接投資も大幅に減ることはなかった。

 希望は意外にも早く蘇った。勇気を持って、この一年の危機を乗り切った、マレーシアの指導者たちと国民に拍手を送りたい。