*ココナッツ-大地の乳
 マレー語で「Kelapa」というこのくだもの(植物)は日本語で二つの名を持つ。「椰子」と「ココナッツ」。つまり、ココヤシという種類の椰子の実がココナッツである。

 「椰子」という言葉は昔から日本の風景の片隅にあった言葉のようだ。

   名も知らぬ 遠き島より       さようなら さようなら 椰子の島
   流れ寄る 椰子の実一つ       お船にゆられて帰られる
   ふるさとの岸を はなれて      ああ、父さんよ ご無事でと
   なれはそも 波にいくつき      今夜も母さんと祈ります
  (島崎藤村作詞『椰子の実』)     (『里の秋』の3番)
 椰子の木は南国の原風景である。珊瑚礁の青い海、白い砂浜、青空に突き抜ける椰子の木-この風景をどれほど多くの外国人がレンズに収めたことだろう。そして、空がオレンジ色に染まる夕暮れ時の椰子林のシルエットは数え切れないほどの旅人の旅情をそそってきたに違いない。
 夜は更に魅惑的だ。もう何年も前になるが、東海岸のティオマン島へ行ったことがある。夜もふけて、人影少ない浜辺を散歩した時の椰子の木の表情が忘れられない。月の光に照らされた、その青白い幹の姿態は艶めかしく、夜空に向かって自由奔放に思い思いの方角に伸びていた。

 まるで妖しい女性たちが、濃紺の緞帳の前で、波の打ち返す音や葉ずれの音に合わせて舞っているようだった。空には無数の星が輝き、小さくなった自分が宇宙に溶けていくのを感じた・・・。

 さて、話をくだものに戻そう。椰子の実はココナッツである。若いココナッツの中には、ひたひたと水が溜まっている。一部を削ってふたを開け、その果汁をストローで飲むことができる。ほとんど透明で、水に砂糖とココナッツ・エッセンスを数滴垂らしたような、少しもの足りない味がする。ココナッツ・ジュースは、このようにどっしりとした天然の容器で飲むことが多い。

 ココナッツの殻の内側には白い果肉がへばりついている。この果肉を削いで潰し、水を加えて揉むと白色のエキスが出てくる。これがサンタンと呼ばれるココナッツ・ミルクで、カレーなどの調味料として欠かせないものである。

 朝食として好まれるナシ・レマは米をココナッツ・ミルクで炊いたものだし、ハリラヤの食べ物、レマンも糯米とココナッツ・ミルクを竹の筒に入れて長時間焼いたものである。

 デザートもココナッツ・ミルクを使ったものが多い。ココナッツ「ういろう」のようなお菓子にココナッツの削り節(?)をまぶしたものもある。つまり、マレーシアではココナッツのない食生活は考えられないというわけだ。

 椰子の葉や古くなったココナッツの表皮は、箒やたわしにも使う。昔はヤシ油を使った。家畜の飼料にもなる。椰子ほど実用性の高い植物はない。恵み豊かな、「大地の乳」である。

 そんな有り難い植物だからかどうか分からないが、ココナッツはヒンズー教の祭りに欠かせない。タイプーサムの時には、神に感謝や祈願を込めて、ココナッツを大地に叩き付けて割る習わしがある。

 その数は年々増え、ペナンでは昨年200万ものココナッツが割られたという。あまりにもエスカレートし、ココナッツ不足を招くので、今年は「一つで十分。無駄にせぬよう」というキャンペーンまであったくらいだ。

 *バナナ-大家族のくだもの

 マレーシアではあちこちによく市がたつ。私も、時々近くのバングサーのサタデー・ナイト・マーケットに行くが、必ず買うのが「Pisang emas」(金のバナナ)である。2、3口で食べられる小さなバナナで、一房15本以上ついている。

 それでも、百円もしない。テーブルの上に載せておいて、口寂しい時に、ぽんと口にほおりこむ。まことに手軽なくだものだ。日本ではモンキーバナナというそうだ。

 熱帯のバナナは種類が豊富で、この他、数十種類もある。名前がまた愉快だ。そのまま食べられるのは、栗バナナ、露バナナ、ろうそくバナナ、海老バナナなど。お菓子に使うのは、貴方バナナ、綿バナナ、料理に使うのは王様バナナ、角バナナ、ジャックフルーツ・バナナなど。

 「Pisang goreng」(バナナのてんぷら)は代表的なおやつで、ビルの谷間の道端などでも、よくその場で揚げて売っている。日本の焼き芋にあたる食べ物だろうか。アツアツが美味しいが、カロリーが気になる。

 金のバナナはヒンズー教の祭りに使う。そう言えば、ヒンズー教も、仏教も、神道も神様にお供えをするが、イスラーム教は一切そういうことをしない。モスクの中はメッカの方角が示されているだけで、他に何もない。シンプル、清潔そのものである。

 この話をマレー人の友人にしたら、思いがけず「アッラーは偉大、万能だから、食べ物などもらわなくてもいいんだよ」という返事が返ってきた。

 話が大分逸れてしまった。「熱帯のフルーツたち」は次回を最終回としたい。