イスラームスケッチ(16)― マレーシア政治の屋台骨UMNO(アムノ―)
宗教の話として始めた「イスラームスケッチ」は、生活習慣、文化、社会へと広がり、政治にまで辿りついた。 最終回は政治の話で締めくくりこととしたい。「最大与党UMNO党大会終わる」を再掲する。
再掲
最大与党UMNO党大会終わる
2000年5月11日より13日までPWTC(Putra World Trade Centre)で開催されたUMNO(統一マレー国民組織)の党大会が終わって、1998年9月のアンワル前副首相解任以来つづいたマレーシアの政治の季節にひとまず句読点が打たれた。今回の大会では総裁をはじめとする新役員が選出され、向こう3年間の党体制が固まった。
UMNOは与党連合・国民戦線(BN)の中核を成すマレー人の政党で、言わばマレーシアの政治の屋台骨のような組織である。同党は54年の歴史を有し、独立を勝ち取り、独立後も継続して政権を担ってきた。ラーマン、ラザク、フセイン、マハティールの四人の歴代首相も皆UMNOから出ている。
ところが、昨年11月の総選挙では大異変が起きた。与党連合・国民戦線は全体として予想を上回る、三分の二以上の議席を確保して大勝利したものの、中核のUMNOがいくつかの州で汎マレーシア・イスラーム党(PAS)に大幅に票を奪われ、大きく後退したのである。UMNOの危機(マレー人社会の分裂)が取り沙汰される中での今回の年次党大会開催であった。
11日の初日、テレビ中継で開会式の模様を見た。マレー民族色一色に包まれた同大会は政治集会というよりも、民族の祭典、民族としての一大イベントという感じがした。大会の中で 「untuk agama, bangsa dan negara/tanah air (宗教、民族、そして国のため)」という言葉が何度も繰り返されたのが印象的だった。それはあたかも彼らが年一回、マレー民族のあり方、イスラームのあり方、そして多民族の国家像を再点検し、マレー・コミュニティーとしての方向性を模索する民族の集いのように思えた。
式典はまず、屋外でのUMNOの党旗掲揚から始まった。UMNOの旗は赤と白の地に黄色い円をバックとした緑のクリス(マレー伝統の短剣)が描かれている。参加者は全員マレーの正装である。マハティール首相(UMNO総裁)とアブドゥラ副首相(同副総裁代行)は揃いの淡い水色のマレー服にソンケット(金糸や銀糸を使った伝統織物)のサンピン(膝丈までの腰巻き)を巻き、頭には黒いソンコをかぶっている。女性党員は赤と白2色でコーディネートしたマレー服に赤いトゥドゥン姿で服装を統一している。画像から明るさと華やかさと熱気が伝わってくる。
9時半頃、2018人の党代表委員がMerdeka大ホールに集合し、大会が始まった。赤や黄色を基調とした華やかなバックドロップが目立つ。まず、議長の挨拶とMerdeka!(独立!)三唱、続いて首相府付き(宗教担当)のアブドゥル・ハミッド大臣によるイスラームの祈り。国歌、UMNOの歌2曲、BNの歌の斉唱が終わると、マハティール首相の開会のスピーチが続いた。因みに、この開会式には、与党連合・国民戦線の他の党首や閣僚らもオブザーバーとして、背広姿で最前列に参加していた。
マハティール首相のスピーチは1時間45分にわたり、印象を一言で言うと、マレー人を叱咤激励する精神訓話のような演説だった。国とUMNOの歴史から説き起こし、新経済政策がもたらしたマレー系国民の生活の変化やそれに伴うマレー人の意識の変化、現状の問題点、グローバリズムと新植民地化の危険性、西洋批判、PAS批判とマレー社会分裂の危機、党内の金権政治批判など多岐に及ぶものだった。
特に注目を浴びたのは、マレー人の志気を鼓舞する中で、世界一周単独航海を成し遂げたアズハー・マンソールの例を挙げたことである。彼の失敗を恐れない挑戦の精神、科学的な知識に基づく周到な準備、孤独に耐える強い精神、自助努力の姿勢など、かなりの時間をかけて賞賛した。「神に祈るだけでは事は成せない」、と自ら努力することの必要性を説いた。
また、「マレー人(bumiputra)は華人からその商売のやり方や企業精神を学ぶことが出来る。彼らから学ぶことは間違いではない。華人の蓄財方法や都市生活の能力を学ぶことでマレー人が非マレー化することはない」とも訴えた。このくだりは翌日の中国紙でも「華商可成馬来人典範」などと大きく取り上げられ、注目された。
長時間にわたるスピーチはアラビア語によるDoa(祈り)で締めくくられたが、これは異例のことであるとコメントした教授もいる。
さて、同日行われた役員選挙の結果であるが、マハティール首相の総裁続投とアブドゥラ副首相の副総裁昇格が無投票で決定し、ポスト・マハティール時代の地固めができた。「Pak Lah(アブドゥラ副首相の愛称)に忠誠を!」が新聞の見出しとなった。
3名の副総裁代理にはナジブ国防相(1289票、46歳、父親はラザク2代目首相)、ムハマッド前スランゴール州首席大臣(853票、54歳)、ムヒディン国内取引・消費者行政相(813票、53歳)が選出された。25人の最高幹部会議のメンバーも入れ替わった。
また、10日に行われた婦人部、青年部の大会ではラフィダ国際貿易産業相(57歳)、ヒシャムディン青年・スポーツ大臣(無投票、39歳、父親はフセイン3代目首相、祖父はUMNO創設者オン・ジャファー氏)がそれぞれ部長に選ばれた。ラフィダ女史は1984年から1996年まで同ポストにあり、今回その地位を奪回した。全役員の任期は2003年までである。
1998年9月アンワル前副首相解任後間もない時、ある日系企業のインド系マレーシア人の管理職が語った言葉が思い出される。「マレーシアは大丈夫でしょうか」との私の問いかけに、彼はこう答えたのだった。
「UMNOはマレー人にとって母親の子宮のようなものなのです。彼らはUMNOが彼らの権利や特権を守り、育んでくれたことをよく知っています。ですから、彼らはどんな事があってもUMNOを守ろうとするでしょう。そしてその頂点にいるのは、(アンワルではなく)、マハティールなのです・・・。UMNOがしっかりしてさえいれば、マレーシアは大丈夫です。私は楽観しています」
その後の情勢はこのインド系マレーシア人が予測したほど平穏ではなかったが、彼の「UMNO子宮説」は、マレーシアの政治を考える上で大きなヒントを与えてくれたように思う。
21世紀、マレー人の多数派はUMNOの中で自己改革を重ねて発展し続けていくのだろうか。それとも子宮から飛び出して、厳しい現実と戦いながら、新たな政治の仕組みを模索していくのだろうか。またこのマレー社会の変容は、他のコミュニティーにどのような影響を及ぼしていくのだろうか。多民族イスラーム国家マレーシアの行方はまだまだ未知数が多い。